1975年、16歳になる年の春
高校進学祝いで、母に買ってもらった、
ヤマハFG300J。

音叉マーク&ナローヘッド最後のモデル
時代は、まだフォーク色が強く、
マーチン型が流行ったため、
翌年から、ヤマハもドレッドノート型になる。

15年目位から、俗に言う「鳴り過ぎ」になり、
エレクトリックのミディアム弦を張っている。
(だから、3弦がプレーン)

サドルをぎりぎりまで削って、ネック調整。
ハイポジションの弦高をベタベタに。
(ほとんどハイポジション使わないんだが)

ヘッドにストラップを結びつけるのが
「カッコ悪い」と思って、
買ってすぐにストラップ・ピンを、
ネックジョイント部に付けた。








1975〜76年頃、
聴くのはロック、演るのはフォークで、
ギターの師匠(幼稚園からの同級生で、
実は近所に住んでいる。)のバンドで、
リード・ギターに転向。

これは、当時のギター・ヒーロー、
リッチー・ブラックモアを真似て、高2の時、
サンバーストのストラトコピーモデルを買うも、
フィルム・コンサートで、カルジャムのリッチーが、
ナチュラルのストラトを弾いているのを観て、
くだんのサンバーストを友人に売り払い、
それを頭金に、高3の春(77年)に買った
ナチュラルのストラト。

エル・マヤは、神戸のロッコーマン(六甲山?)のギターブランド名。
ギターを作っていたのはこの前後計5年程度で、現在はジャクソン等の代理店になっている。

同価格帯のグレコ・ストラトは、貼り指板で、ネック裏のスカンク・ストライプはダミーだったが、
エル・マヤは完全にメイプル一本棹。
また、この価格帯は、ナチュラルに耐える木目の材がなく、ブロンドかサンバースト塗装で、
ナチュラルにこだわると(というかリッチーに)、予算5万に収まるストラトの選択肢はなかった。

2度目にアームを折った時、残ったネジが取り出せなくなり、
当時流行っていた2点支持のトレモロユニットの、一番質量の小さいものに換えた。

サーキットはいじりまわしているうちに、PUを1つ断線させてしまったので、
ミドル、リアを残し、1V1Tに配線を変えた。

今は飴色のセン単板ボディも、最初は、ほぼ白木だった。
木目を出すため塗装もかなり薄く、おかげでかなり軽いが、
材が柔らかいため、へこみ疵だらけだ。

フレットが擦り減って、打ち替え時にウレタン再塗装も必要で、5万程度かかると言われ、
迷っているうちにどんどん貧乏になってしまい、現在は無期限休眠中。